瑠璃のかなたに

露寇事件

最近、司馬光太郎の作品「この国のかたち」「菜の花の沖」「城塞」「関ヶ原」「跳ぶが如く」を読みました。このことが日本の歴史に興味を持ち始めたきっかけです。
今、日本歴史を扱ったテレビ番組、「BS歴史館」「やさかのぼり日本史」など興味深く見ています。テレビではBS歴史館にコメンテーターの一人として登場した里中満智子さんに惹かれ、壬申の乱や持統天皇を扱った里中満智子のマンガ「天上の虹」を今、図書館で順番待ちをしながら読み続けています。マンガに興味のなかった私ですが最近マンガにも目覚め始めているところです。
つい最近放送の「BS歴史観」(衝撃!もうひとつの“黒船”)も「菜の花の沖」の主人公高田屋嘉平が活躍した時代と重なり興味を持って見ました。

1806年に起きた露寇事件は1853年ペリーの黒船来航に約50年先立っています。その2年前の1804年、ロシアの使節ニコライ・レザノフが長崎に通商を求めて来航しますが江戸幕府は2ヶ月半上陸を許さず、上陸させたあとも、ある屋敷に軟禁状態のまま半年を無意味に過ごさせます。江戸幕府は対応の検討に追われ、結局無礼な方法で追い返します。1806年の露寇事件はそのことに対するロシア側の報復だったのです。利尻、樺太、択捉の沿岸でロシア船の乗組員の襲撃や略奪などの行為が頻発します。ロシア人は毛皮の取引やラッコの捕獲のため日本を寄港地にするのが狙いでした。露寇事件の被害状況は全部で死者3人、米1130俵、他に武具、大砲など数点だったにも関わらず、日本中に衝撃が走ります。すでに1782年嵐のため漂流して九年半のロシア滞在を終え帰国後その体験記を記した大黒屋光次郎の写本が全国に出回っておりロシアがどれほど巨大な国であるかを日本人はすでに知識として持っていました。そのため、いっそう、うわさ話に尾ひれがついて被害額も2艘だった襲来船は数百艘に、略奪された米も5000俵、わずか3人だった死者も皆殺し等の流言が飛び交っていました。その時期に日本近海を航行中のロシア船ディアナ号が日本側に拿捕され船長ゴローニンを初め数人が 日本側にとらえ得られ、函館で捕虜となって監禁されていました。その釈放を巡っての解決が長引いていました。これがゴローニン事件です。それに対してロシア船にとらえられ人質となった回船商人高田屋嘉平の活躍で事件の解決を見ます。1813年ロシア人捕虜の解放、高田屋嘉平も無事帰国がかないます。彼を主人公にして物語を展開させた「菜の花の沖」は子供時代からの高田屋嘉平の生き様を語った物語です。テレビドラマ、マンガ作品等にもなり人気のある作品のようです。
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by pypiko | 2013-04-15 07:00 | その他