瑠璃のかなたに

清少納言と紫式部

紫式部作の源氏物語には長編で登場人物が多く初心者には取っつきにくいのですが、私の場合、マンガがとっても役立ちました。大和和紀著「あさきゆめみし」を皮切りに、瀬戸内寂聴訳「源氏物語」を読みました。清少納言作の「枕草子」はちょっとのぞき見をしてみようと「リンボウ先生のうふふ枕草子」という枕草子を面白おかしく解説しながら抜粋し紹介した小作品を読んだだけです。

二人はいずれも10世紀初頭に出た天才の女流作家だといわれています。

先日、「ライバルたちの光芒」というタイトルで放送されているテレビ番組で清少納言と紫式部を取り上げていました。

清少納言と紫式部は同じ一条天皇の二人の后、定子と彰子に召されそれぞれの後宮に咲いた大輪の花でした。

定子は藤原道隆の娘、彰子は道隆の弟の道長の娘でした。定子は12歳で入裏し当時9歳だった一条天皇とは幼い時から気心のしれた姉と弟のごとき関係のままのちに相思相愛の理想の夫婦となっていました。その後道隆が急死して藤原家の後継者は道長になり、野望を抱きわずか12歳の娘彰子を一条天皇の后として入裏させました。

すでに定子は一条天皇との間に敦康親王を設け、この皇子が次期天皇と目されていました。彰子はまだ子供でしたので一条天皇との夫婦関係は築かれずにいましたので道長はいろいろ策を弄することとなりました。定子は教養があり、文学的素養もある文化人でしたので後宮に入った清少納言とは馬が合って、定子の開く文化サロンは華やかなものでした。一条天皇を引き付けるためには何とかこれに打ち勝つような魅力的な文化サロンを目指して道長は彰子の後宮を唐物で飾り付け、清少納言に引けを取らない教養豊かな女官を引き入れることでいろいろと画策しました。当時夫を亡くしてすでに執筆に入っていた紫式部の源氏物語のは評判になっていました。道長はこの紫式部を抜擢し、源氏物語の作成に多大の援助をしました。当時貴重な紙、筆や墨をふんだんに与え、生活の援助も惜しみなくしたそうです。紫式部の源氏物語を声のいい女官に朗読させ、定期的に開かれるサロンはまるで現代の韓流ドラマのように盛り上がったそうです。

源氏物語の朗読会は一条天皇をも魅了し、次第に彰子との交流も頻繁になり結婚の数年後に、無事敦成親王を出産、定子の死後道隆の家系は没落したこともあり、定子の子、篤康親王を抑えて、彰子の子、敦成親王が後の後一条天皇となり、道長の他の娘、二人も天皇の后となり道長の天下となっていったそうです。道長の、“この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたるもなしと思へば”うたった歌が残されています。

紫式部と清少納言は平安の世でなけれが咲くことのなかった二輪の大輪の花だそうです。


[PR]
by pypiko | 2014-09-23 07:48 | その他