瑠璃のかなたに

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ローマ

ローマへは、またいつかゆっくり来たいものです。とりあえず、今回はまた来ることが出来ますようにと、トレビの泉にコインを投げ入れてきました。

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   コロッセオ1 (2009・8・21)


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   コロッセオ2 (2009・8・21)



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   コンスタンティヌス帝の凱旋門 (2009・8・21)



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   トレビの泉  (2009・8・21)
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by pypiko | 2009-09-04 19:09 | イタリア旅行

バチカン市国

ヴァチカン市国にあるサン・ピエtロ寺院はカトリック教会の、いわば「総本山」である。ヴァチカン市国はローマ市の西の一角、テレベ川に接した位置にあり、統治者をローマ教皇とする独立国です。

ヴァチカンの発行する切手はヴァチカンでしか使えません。私はヴァチカン国内の売店で切手と絵はがきを購入して、急いで文と宛名を書いて、その売店の備え付けのポストに投函しました。旅のはじめにベネチュアで出した絵はがきより、旅の終わりの頃に出した絵はがきの方が遙かに早く日本に着いたそうです。ヴァチカンの郵便局は優秀です。


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   サン・ピエトロ寺院(2009・8・21)


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   サン・ピエトロ広場(2009・8・21)


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   システィーナ礼拝堂の天井画 ミケランジェロ作 (2009・8・21)


システィーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロによる大作です。天井に直接描くときの
苦労の様子が友人のジョバンニ・ダ・ピストィアへの書簡で語られています。

須賀敦子 全集第5巻 ミケランジェロの詩と歌より
 
ジョバンニ・ダ・ピストィアに 須賀敦子訳

この酷い暮しのおかげで 僕の首には たんこぶが
水にあたった どこかの国の いや
ロンバルジアの 猫さながらに
腹は頤に ぴたりとひっつき

髭は天を指し 頭のうしろは背と鉢合わせ
胸は醜い女神のように 反りかえり
絵筆が おまけに 雫をたらして
顔いちめんに 派手な絨緞をしいてくれる

腰は腹にすっぽり入り
背中のかわりに 尻でひょいひょい
目無しの足は 行き先知らず

胸がわの皮膚は いくらあっても足りず
背中は シリアの弓の如くに
反対に曲げているので しわだらけ

頭に浮かぶ考えもこれでは
曲がりくねって 間違いだらけ
捻けた鉄砲では 命中せぬも当たりまえ

さあ ジョバンニよ 俺の面目のためにも
この色つや悪い絵を弁護してくれ
場所もひどいし 絵描きでない俺















   
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by pypiko | 2009-09-04 18:56 | イタリア旅行

ポンペイとヴェスヴィオ山

紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ山の噴火によってポンペイの街が当時のままの姿で封じ込まれ、18世紀に始まる発掘のよって当時の様子が垣間見られるようになってきています。また塩野七生の「ローマ人の物語Ⅶ」によればヴェスヴィオ山の噴火は皇帝ティトゥスの時代に起こり、そのときの様子を実際に残されている小プリウスとタキトスの書簡を通して詳しく記されています。

ヴェスヴィオ山の最近の噴火は1944年3月22日で今は終息しているそうです。


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  火山灰に埋まった遺体が朽ちて無くなった後に出来た空洞に石膏を流し込んで
  出来た複製品 1  (2009・8・20)



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  上に同じ 2   (2009・8・20)

 


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  当時の人々に利用されていた水道、蛇口は今日のもの(2009・8・20)

            


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  パン焼き釜 (2009・8・20)



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  ヴェスヴィオ山  (2009・8・20)


ロベルト ロッセリーニ監督、イングリット バーグマン主演の映画「イタリア旅行」をイタリア語耳慣らしのため繰り返し見ています。制作年は1953年ですが、ヴェスヴィオ山の火口を見物しているバーグマンの様子が見られます。この頃にはまだ火口はぶつぶつ小噴火を繰り返していたようです。
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by pypiko | 2009-09-04 16:19 | イタリア旅行

カプリ

真夏の海は波も穏やかでカプリ島で青の洞窟へ支障なく入ることが出来ました。

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     青の洞窟



私が1981年の夏初めての海外旅行でドイツを訪れた際、買い求めた「Der EinsameKoenig」(Werner Bertram著)を、その後ドイツ語の勉強のためドイツ語を教えていただいていたドイツ人のMさんと5年間かけて読み終えたあと、私は日本語訳に挑戦し、日本語版の題名を「ルートヴィヒⅡ世の思い出」としてこの本の日本語版を出版しました。その中の「青の洞窟」の部分を抜粋してみます。

城(リンダ-ホーフ城)の周りの花壇やテラスや、今日でもなお50メートルの高さまでを噴き上げている噴水は見る者を惹きつけずにはおかない。滝の上方にある前の洞窟、大きな中の洞窟、それに小さな後ろの洞窟からなる広いくぼみ、いわゆるブラウエ・グロッケ(青い洞窟)もまたユニークで魅力的である。その入り口は回転する岩で完全にかくされているので気づかれることがない。
 彫刻家ディリグルによるこのすばらしい人工の洞窟は、カプリ島の青の洞窟をまねて作られたのものであるが、ここで照明は青い色だけではなく青から赤、桃、黄、紫へと魔法のようにすばらしく変化した。しかし王はカプリ島を一度も見ていなかった。ただ、それについては本で読んでしっていたにすぎなかったが、彼の活発な空想力は殆ど実現不可能とも見えるこの洞窟を、現実のものとすることに対し、いろいろと考えを巡らせたこの地下にある場所をルートヴィヒは夜にしか訪問しなかった。
 王が召し使いとこの洞窟に入いって来る度に、二羽の白鳥が小さな湖の水上を泳いで近づき、翼をふくらませ、細い首を伸ばした。合図で召し使いが金の針金で編んだ籠を王に手渡し、王はそれからお気に入りの動物、白鳥のために特別に作らせたきれいな白いパンを取り出しそれらに与えた。それがすむと彼は先端におどけた天使の着いた美しい貝の舟に乗った。くっきりした空色が割れ目の多い岩肌によって取り囲まれた空間にかがやいていた。そして背景にはタンホイザーの絵があった。湖面はあるときは孔雀の目の深い青色に、またあるときはわすれな草の青に輝いた。湖に映った色は金と銀の舟の輝きと魔法のように、ベールの重なりのように混じり合った。10分間、近視の王はオペラグラスで次々に映り行く光の効果を眺めた。
 無言のままに第二の合図で、召使いは小舟に乗り込み、静かに人工的に色々に変わる水面を漕いで行った。この瞬間に全空間の空色は深紅色の輝きに変わった。最初は薄暗く、それは氷の原が北極圏の真夜中の太陽の輝きにより、生き生きと照り映えているようであった。明けゆく朝を見せかけるために、次第に空間は柔らかいバラ色に移り変わった。岩と鍾乳洞の柱はルビーのようにかがやいた。魔法にかけられたように孤独の王は、彼の珊瑚の椅子のクッションに座って、背景の力強い絵に視線を投げていた。そこは戯れるニンフ達と優美の女神、魅惑的な愛の神々のいるヴェーヌスベルクが何と美しく描かれていることか。愛の女神が何と魅惑的に玉座に座り、その足元にはタンホイザーが何と不道徳に横たわっていることか。
 再び10分間がすぎた。そこで突然薄暗い森を形どったドームが魔法のように現れた。かすかなざわめきが聞こえ、次第に強くなりだんだん近づいてきた。壁に反響し、出し抜けに隠された岩の割れ目からすばらしい滝が現れ、とどろき、荒れ狂って湖面に落ちた王の空想は頂点に達し、銀色の白鳥が飛び立った。
 水が噴き出している岩の割れ目を灼熱の如く深紅色に染め、明るい黄金色が洞窟を満たした。激しく落下する水は流れる黄金の如く輝き、そしてゆっくりと氷結した。輝く晴天から冬の静けさの変わり、霜が辺り一面に広がった。白鳥は静かに再び小舟の周りを泳いだ。まぶしい光の海は最後に虹のプリズムの魔法に変わった。それは七つの色でぼんやりとゆっくりとヴェーヌスベルクの絵の方へと中高に盛り上がった。それは神々がワルハラ城から地上へ、そして再び地上から彼らの山の高みへと登るとき、歩いていくラインの黄金の橋のように輝いた。
 色がすーっと消えた瞬間に、王は彼のあわれな夢からさめ、洞窟のおとぎ話は終わったのだ・・・
 王の寵愛を受けていた極わずかな人々のみが王とともに静かな聖なる場所に入り、王とともにそこへ招かれる栄誉を与えられた。このふさわしい場所でタンホイザーのオペラが上演されるはずであった。残念ながら、この楽しみは、マスコミの執拗な反対論評と、どうしても必要な多すぎる動員数のために、水泡に帰せしめられた。王の魔法の洞窟の幻想的な空間でのヴェーヌスベルクの奇跡を、彼は一度も見ることが出来なかった。    
 
      
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by pypiko | 2009-09-04 11:15 | イタリア旅行

高速列車ユーロスター

フィレンツェからナポリまで高速列車ユーロスターで3時間半で移動しました。途中の停車駅はローマだけで、ローマまで先頭を走っていた列車はローマから先は最後部の車両が先頭となりナポリへ向かいました。


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      ナポリ行き 14時49分発でナポリへ向かう(2009・8・19)


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      10番線で乗車(2009・8・19)



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      高速列車ユーロスター(2009・8・19)
      
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by pypiko | 2009-09-03 10:04 | イタリア旅行

ピサ

ピサではドゥオモ 洗礼堂 斜塔を見学しました。

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    ピサの斜塔


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    ドォオモの内部 

 
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    「ピノッキオの冒険」の作者カルロ コロディ(1826~1290)がトスカーナの出身
    のためかドゥオモに続く売店ではピサの斜塔のグッズの他にピノッキオの人形が
    たくさん売られていました。
   
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by pypiko | 2009-09-02 15:53 | イタリア旅行

ベネツィア

塩野七生の「海の都の物語ーベネチア共和国一千年」で、小国ベネチアの国づくりとその後どのように大国と渡り合って生き延びたかの概要を教えられました。「ローマ人の物語」を始め、塩野七生の著作のほとんどを読みましたがこれだけの大作を一人で手がけ、しかも歴史に疎い素人の私にも途中で投げさせず読ませてしまったのですから凄い実力の著作家だと思います。本物の歴史学者からどんな批判的な評価があろうと私個人としては塩野七生にノーベル賞を与えてほしいです。

「水の都」ベネツィア、湿地帯の上に長い年月をかけたとはこんな大きな街をこんな美しい街を作り上げた人々の叡智に底知れぬ感動を覚えます。


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     ベネツィア1(2009・8・17)

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     ベネツィア2(2009・8・17)


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     ベネツィア3(2009・8・17)


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     ベネツィア4(2009・8・17)


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     ベネツィア5(2009・8・17)


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     ベネツィア6(2009・8・17)
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by pypiko | 2009-09-01 18:57 | イタリア旅行