瑠璃のかなたに

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小学校入学を間近にして旅立った弟

 弟の死は終戦の前年、突然のことだった。私と弟は一つ違いで仲が良かった。
ある日、幼稚園に登園する時間に、家の門の前で私と弟が同じ制服を着て二人並んで立っていると通りすがりの人が「双子だわ」といって通っていったことを覚えている。

 弟は頭が良かった。一年年上の私が叶わないほど物知りだった。字が読めるようになったのも弟が先だった。当時はお風呂を薪で焚いていたので何度も沸かす手間を省くために子供が小さい頃は、家族全員が一度にお風呂に入るのが普通だった。お風呂に浸かりながら「私八十まで数えられるわ」というと弟は「僕は百まで数えられるよ」というように弟にはいつも先を越されていた。それだけに弟は父の期待を一身に浴びていたことと思う。

 まだ女性に高等教育を受けさせる風習は世間一般にはなかった。姉が生まれた後、二年後に生まれた私が女だったことにがっかりした父が、書斎から出てこなかったと大人達が冗談交じりに話していたのを何度か耳にしたのを覚えている。当時は自宅出産が普通で、分娩が迫ると多分産婆さんが呼ばれたのだろう。あるいは実母の母である祖母が取り上げてくれたのかもの知れない。弟は父にとって待望の男の子だった。それでも私には弟に嫉妬する気持ちはなく、むしろ頭のいい弟が自慢だった。

 父は子煩悩で、男の子には高学歴を期待していたとしても、女の子だからといって私たちをないがしろにしていたのではなかった。可愛がってくれたのはむしろ女の子だからということで姉や私のほうだったかもしれない。

 生みの母が結核がもとで死んでしまった後は、私の乳児期をよく知っている母方の親類とは段々と交流も遠のいてしまったのでそのころの話を聞かせてもらえる縁戚者がいないので良くわからないが、母が病弱で母乳の出が悪く、夜中に父が起きて私のために、重湯を作って与えたりしてくれたことを誰かから聞いたことがある。

 私はひ弱でよく入院もした。病院での一こまや、退院してきた日のことなどかすかに記憶している。でも私の記憶の中に母の姿はない。ただ時たま、フレアースカートの裾を翻して私の前を横切った母の姿が脳裏をかすめる。今は母の写真は手元に一枚もないが、たぶん、いつか写真で見たワンシーンから膨らませた幻影を過去の現実と取り違えているのだろうと思う。

 結核に罹った実母が小さい子供達への感染をおそれられ隔離のため、入院させられいたので実母の実家を通して、養育係として来てもらったのが後の私たちの養母になる人だった。実母は私たち姉弟(姉6才、私4才、弟3才)3人の幼児を残して他界した。養母は姉と12才、私と14才、弟と15才違いであるから、逆算すると実母が死んだ年、私たち姉弟に寄り添ってくれていた、まだ未婚だった養母は、18才のティーンエイジャーだったことになる。年令については曖昧である。というのはその頃は数え年で年令を数えられていた上、私の記憶が定かでないためである。たぶん父と養母との結婚は私の小学校入学の一年前の年だった。

 私がジフテリアにかかったのに続いて弟がジフテリアに感染し瞬く間に死んでしまった。もうすぐ小学校入学、そのころは国民学校といったが、ランドセルなどの入学の準備も出来ていた時期だった。弟は小さかっただけに養母に一番なついていたのだろう。養母の悲しみは傍目にも大きかった。朝起きたら父と養母は弟の病床の枕元に座っていた。私たちは弟の死を告げられた。その時の私は死というものを実感として受け止められなかった。

 弟は顔に白い布がかけられていた。弟の最後の枕元に座らされた私は「うそよ!うそよ!だって坊やはここに寝てるじゃないの。お布団が膨らんでここにいるわ。死んでなんかいないわ」といって弟の死を否定した。昨日まで病気で枕を並べて寝かされていて、病気だとは言え、二人でおしゃべりもし、じゃれ合っていた弟が、こんなにあっけなく死んでしまうなんてどうしても信じられなかった。弟の病気は鼻ジフテリーだったそうで、夜中に鼻出血が止まらなくなりそのまま亡くなったそうだ。

 当時は子供の生命を奪う病気がたくさんあった。一組の夫婦に少なくとも子供は三、四人いるのが普通だった。また麻疹、百日咳、ジフテリア、結核などで亡くなる子供は少なくなかったから、こういった悲しみもそれほど珍しくはなかったかも知れない。弟のことを家族の中では「坊や」と呼んでいた。その後もしばらくは家族の会話では人気者だった「坊や」を懐かしむ思い出話が尽きなかった。

 家族の悲しみを忘れさせてくれたのは、同じ年に、弟の生まれ変わりのように、養母に生まれた男の子だった。
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by pypiko | 2011-01-30 13:16 | 過去の思い出

伊作文 ガラパゴス化

BOP è abbreviazione di base of piramide.
Se si rappresenta la distribuzione di popolazione totale del mondo secondo l’ordine dalle buone condizioni economiche alle cattive diventa come forma di piramide.
Ci sono approssimativamente 4 miliardi di poveri personi nel mondo che si trovano in BOP.
Questo vale più di 70% del popolazione totale nel mondo. Adesso gli affari che hanno puntato a BOP diventano oggetto di attenzione.
Se si punta solamente alla attività economiche, non si deve tanto pagare per fare migliorare e svilppare questo e quello. Si può prendere il grande profitto faccendo e vendendo tante cose a prezzo basso e semplice.
Nel mondo le varie società sono già entrate negli affari di BOP, ma in confronto all' americano e ai paesi europei, il Giappone sembra ritardare per questa concorrenza.

Per esempio, il telefonino giapponese con tanti funzioni alti non è necessario per le persone dei paesi poveri.

La settimano scorso prima di questa lezione di italiano mentre aspettavo per cominciare ho letto qualche argomento sulle prospettive future giaponese nel giornale Shukan Asahi pubricato ultimamente.
Io ho lì saputo prima volta la parola ”Galapagos-化”.
Nelle isole Galapagos che erano separate dagli altri luoghi per lungo tempo nell’antichità, animali o pianti hanno evoluto originalmente. Tra questi la iguana è molto famoso.
Giappone sembra essere come galapagos.
Per esempio il telefonino è troppo sviluppato. Perciò non si può vendere nel mercato degli altri paesi del mondo.

Una persona ha scritto nel giornale Shukan Asahi che così sarà bene e noi giaponese dovrebbero puntare allo svilippo originale senza partecipare allo guerra economica.
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by pypiko | 2011-01-28 10:28 | 語学

ガラパゴス化

ガラパゴス諸島は他の世界から隔絶された太古の時代にそこに生息する動物(例イグアナ)を独自に進化させ独特の生態系を作り出したことで有名です。世界遺産一号だとは知りませんでした。日本の携帯電話が世界に先駆けた発展を遂げたことで、日本は携帯電話の世界市場で競争力を失ってしまった現状をガラパゴス諸島にたとえて経済界ではこの現象をガラパゴス化といっているそうです。

今や世界の経済競争は、世界人口の70パーセントを占めるBOPビジネスを目指しているそうです。 BOPとはbottom of the pyramid(ピラミッドの底)の略。BOPとは世界の総人口を裕福な人々から貧乏な人々の順に上から下にならべると裕福層は少なく、貧困層は多く、ピラミット型の人口分布となるそうです。安くて、簡素な商品を大量に作り出すことによって貧困層に売り込めば単価は安くても数で計り知れない利益が見込まれるという計算です。

残念ながら日本はこの競争に欧米諸国に遅れをとってしまっているのが現状たそうです。
先週の土曜日、毎週通っている朝日文化センターのロビーにおいてあった 週刊朝日の1月21日号で、日本の今後はどう進むべきかという問題に対してに何人かの知識人の意見を読みました。その中で(名前は忘れましたが)ある人が書いた意見に興味をそそがされました。日本はガラパゴス化を目指すべきという意見でした。他国に引きずられることなくどんどん技術を発展させるべきだというのです。五千万人の人口の韓国が輸出に頼らざるを得ないのに比べて、一億の人口を抱える日本は日本国内の需要で十分採算がとれるというのです。この頃の日本人の特に中小企業の人々のがんばりを見ると「よしよしそのまま頑張れ」と応援したい気持ちにさせられます。

今週のイタリア語講座で発表するための伊作文でこれを発表しようと悪戦苦戦中です。そのために、 実は週刊朝日の1月21日号バックナンバーをインターネットで注文したのですがまだ届きません。
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by pypiko | 2011-01-27 09:53 | その他

パスポート更新

パスポート更新

夫が生涯で始めてとったパスポートが癌の宣告をうけた年で、二人で一緒にとったパスポートの有効期間の5年がそろそろ終わり日近づいていることが気にかかっていました。

昨年夏にイタリア旅行の折に、何ヶ月かの猶予がないといけないといわれて確かめたところ、どうにかセーフだったと思った記憶がありました。てっきり満期が過ぎていて改めて交付してもらわなければならないだろうなと思っていました。お正月が過ぎて、急に思い立って自分のパスポートを調べてみたところ、満期日は27 Jun 2011でした。有効期限内に手続きをするといくらか手続きを簡単にすませることが出来るのでもうけものをした心境でした。パスポート交付の受付ではじめて、一月(Jan)ではなく六月(Jun)といわれて気がつきました。それでも残りの日にちを無駄にしていいなら今でも更新出来ますよといわれて、無事更新することが出来ました。こんな間違いをする人は私ぐらいの年寄りには多いのだろうな、と思いながらその場の恥を飲み込みました。1月14日手続きをすませて1月20日受取りに行きました。今度は5年ではなく10年有効のパスポートなので満了日まで使うことはないでしょう。

2001年の米国同時多発テロ以降は、テロリストによるパスポートの不正使用を防止する観点から研究が重ねられ、本人特定を確実なものにするために、ICチップがはめ込まれたパスポートが採用され、顔画像が判定の一役を担っているそうです。現行のパスポートは、2006年3月20日から採用されたものだそうです。前回2006年6月27日発行の私たちのパスポートにも同じICチップの組み込まれたものでした。 

パスポート更新の前に隣接の写真撮影の場所で撮影を受けました。写真は眼鏡をかけた私の顔写真の目が眼鏡で曇っているのでという理由で眼鏡を外しての再撮影となりました。5年の歳月は随分私の顔を変貌させているのに驚かされました。今から2,30年も前になりますが、そのころから眼鏡は私の顔の一部です。小児科医療に携わっていましたので、子供の喉を見るとき老眼鏡でみるとピントが合わないので眼鏡を外さなければなりません。カルテに所見を記載するときは老眼鏡が必要です。眼鏡をかけたり外したりでは不都合なのでそのころから常時、遠近両用の眼鏡を終日かけっぱなしでいます。前回のパスポートの写真では眼鏡をかけても目がぱっちりと映っていて機械の判定にも支障がなかったようですが、5年の歳月が目の力をなくして垂れ目になっているのです。どう見ても老人顔です。とはいうものの5年前の私はまだ見れるじゃないと思ったりもしています。 
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by pypiko | 2011-01-21 13:40 | その他

伊作文 雪の日に、「大聖堂」続編を読む

La domenica scorsa ha nevicato per la prima volta di questo anno in Nagoya.
Io sono andata al caffè alla distanza circa 1 chilomero per la salute e per leggere il libro come sempre.
La neve ha gia coperto la terra circa 10 centimetri.
Primo sono stata incerto se andare fuori o restare in casa in un giorno di cosi brutto tempo, perghè nevicava semple fitto fitto.
Ma sono andata decisivamente fuori nella neve verso il cafè.
Io mi sono vestita pesante come quando viaggiavamo in Hokkaido d’inverno con mio marito.
Io avrei esitato se tornare a casa per cambiare l'abito. Perchè la neve sembrava smettere, io ho pensato che quella aspetto fosse stato esagerato.
.
Il caffè non aveva molto numero di visitatori. Per me io ho potuto leggere lungo tempo senza la gente che mi disturbava.
Dopo due ore sono andata fuori. La neve cadava terribilimente. Mi è dispiaciuto molto che non ho avuto una macchina fotografica digitale.

Dopo sono ritornata a casa, io ho visto la neve sempre cadere di più atraverso vetro dalla finestra della casa.
Sebbene io avevo già finito di cambiarmi, io sono andata solamente con un vecchio soprabito .
Io ho preso qualche foto della scena di neve.
Il giorno dopo la nece ancola cadeva.
Io sono anche andata a cafè. Io ho finito di leggere fino a fine il libro di Ken Forett titolato Daiseidou che io avevo recettamente comprato atrverso interneto.
Questo libro era molto interessante.
Il 5 febraio comince drama della storia di 12 secolo di Ken Forett.
Il libro che io ho letto è di 14 secolo, cioè era il seguito della storia di drama. Dopo
che avevo letto ho notato questo. Io ho subio compurato il libro di cuì la drama era fatta. Primo io voglio vedere la drama, dopo io vorrei leggere il libro.
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by pypiko | 2011-01-20 12:20 | 語学

大聖堂 ケン・フォレット

大聖堂
第1回「無政府時代」
BShi 2011年2月5日(土)午後10時00分~10時56分
第2回「聖堂炎上」
BShi 2011年2月12日(土)午後10時00分~10時52分
第3回「聖アドルファス祭」
BShi 2011年2月19日(土)午後10時00分~10時53分
第4回「戦場」
BShi 2011年2月26日(土)午後10時00分~10時47分

原作:
ケン・フォレット Ken Follett 「大聖堂 The Pillars of the Earth」
製作総指揮:
リドリー・スコット Ridley Scott

今度ドラマ化された大聖堂が8時間ものとしてBShiで放送される予定だそうです。
イギリスが舞台の12世紀の物語だそうです。
テレビで見る前に原作の翻訳本をインターネットで購入しました。登場人物も時代設定もドラマと違うことに読後に気づきました。
私の読んだ「大聖堂 果てしなき世界」は以前に出たケン・フォレットの「大聖堂」の続編だそうです。14世紀のイギリスで、キングスブリッジという前編と同じ場所が舞台です。登場人物たちも前作の子孫たちが絡んでいます。詳細な時代検証がなされていて、中世の社会絵巻が様々に展開され読者を引き込みます。
ドラマ化された「大聖堂」も同じ感動に酔わされることと期待されます。イギリスが舞台ですがハンガリーに舞台装置を一から作り、壮大なドラマになっているそうです。

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by pypiko | 2011-01-17 15:39 | その他

雪道

今日も雪が降る

名古屋に居ながらにして雪国の感触を味わえるまたとないチャンスとばかり今日も外出。いつもの喫茶店に出かけた。
こんな雪の日に用もないのに外出する人はあまりいないようだ。真新しい雪道だった。
日頃はかないブーツで歩きながら自分の靴跡を他の人の靴跡と比べるために何度も振り返って見た。
明治生まれの両親に育てられた一世代前の日本男児の典型だった夫は妻を誉めたり、愛情表現を言葉ですることはほとんどなかった。
その夫が癌になり余命幾ばくもないと覚ってから玄関に並んだ私の靴を「かわいいくつだなあ」と何度か独り言のようにいってくれた。
単純にも私はこれを彼の精一杯の愛情表現と受けとって懐かしく思い出す。雪道についた靴跡を吟味しながら。
喫茶店は今日も私だけの貸し切り状態。昨日から読み始めたケン・フォレットの大聖堂を雪の降る昨日と今日の二日間で読み終えた。遅読の私にしてはこれまでの最速。もっとも昨日、夜遅くまでと今日朝早くから三度の食事も忘れるほど、興に乗って読んだためではあるが。
帰り道は雪が殆どなくなっていた。

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by pypiko | 2011-01-17 14:47 | その他

久しぶりの雪景色




久しぶりの雪。 近くの喫茶店に行って、一時間ほど本を読みに行くつもりだった。

外出をた見合わせるほどの雪の降り方だった。少し脂肪を燃焼させなくっちゃ。

雪の中を思い切って出かけた。一キロほどの道のりのところにある喫茶店が目的地だ。

ジーパンにフード付きのもこもこのコート、夫と冬の北海道を旅したときの出で立ち。

もっぱらスカート党の私にはジーパン姿は珍しく、この冬はじめて。

家を出たときに雪は小降りになっていたのでちょっと大げさな格好に思えて着替えて

出直すべきかどうか迷った。

喫茶店は客の数はいつもほど多くはなく、読書の能率が上がって長居、2時間ぐらい

経って、外に出た。すごい雪景色だった。 デジカメを持っていなくて残念だった。

家に帰って、家の窓からガラス越しに見える横なぐりの雪はなかなか止みそうもな

かった。

普段着に着替えたあとだったが、またとないチャンスを逃したくなかったので、急いで

そのままオーバーを羽織って、外に出て家の近くでとった写真だ。




窓のガラス越しの雪降りの景色
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秋に紅葉を楽しませてくれたナンキンハゼの並木道 この先に喫茶店
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上の並木道の反対方向 
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by pypiko | 2011-01-16 16:07 | その他

伊作文 ストラディヴァリウス

Mio fratello scrive spesso che Senju Mariko gioca molto bene al proprio violino di Stradivarius "Duranty". Per lui la sua musica sembra essere sprendida.

Quando io ero studentessa,io non leggevo quasi mai eccetto libri di medicina. Dopo quando io avevo laschato lavoro , io ho cominciato a leggere diversi libri.
Finito di leggere "La storia romana" consistente nei 15 volumi di Shiono Nanami , io ho pensato che Shiono Nanami meriti il premio Nobel.
La storia del mondo di Durant che ho cominciato a leggere un anno fa consiste dei 32 volumi ed ora legge il 26 volume di questa opera. Io penso che anche Durant meriti il premio Nobel.

La prima edizione di questa opera era pubbricata nel 1969, perciò io penso che ci siano forse tanti erroi trovati dagli studi nuovi. Ma io sento particolamente la realtà del tempo sotto il mio naso legendo questi libri.
Secondo la storia di mondo di Durant il violino sembra essere svilupparsi dal strumento a sette code che era di moda nel 16 secolo.
Andrea Amachi portò la tecnologia di fabbricare il violino a Cremona, e suo nipote Niccolo l’avanzò .
I suoi allievi Andrea Garneri e Antonio Stradivari diventono megliori fabbricanti di violino del maestro.
Il violino più vecchio di Antnio Stradivali era proddotto nel 1666.
Il violino eccellente chiamato "Ricco- Come- Stradivali fra suoi violini si considera che sia un tesoro di Cremona.
Stradivali aveva creato 1,106 strumenti musicali di violini, viole, violoncelli in tutti fino a quando lui è morto a 93 anni ,oggi 540 violini rimangono.

Berlino Philharmonica sembra tenere un concerto con 11 strumenti musicali di Stradivarius nell'Aichi arte Teatro 27 maggio. Anche nel concerto di violino di Senju Marico si guarda il suo strumento gravemente. Come si farà per 11 strumenti di Stradivari ?
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by pypiko | 2011-01-13 19:01 | 語学

アランドロンの映画

アランドロンの主役の「若者のすべて」をBS放送で見ました。アランドロン25歳のときの作品です。25歳のアランドロンは初々しい容姿でティーンエージャーと思われる青年の役を演じています。そのほか「地下鉄のメロディ」27歳、「山猫」28歳、「パリは燃えているか」31歳、「シシリアン」34歳とこの一年間に随分多くのアランドロン映画を見たものです。
「若者のすべて」でアランドロンの演じるロッコ役の青年は心根のやさしい憂いの漂う魅力的な美青年です。アランドロンが画面に出ているだけで映画の魅力が高まるという点では女優でいうとオードリーヘップバーンのような存在でしょうか。特に「若者のすべて」ではアランドロンが涙を流すシーンが、「山猫」では兵隊に志願するために故郷のパレルモをはなれてミラノに向かおうとするときに叔父の家を出るさいに玄関の階段を軽やかに飛び越えるときの身のこなしが印象深く思い出されます。日本では当時アランドロンのたばこを吸うときの仕草をまねする若者がたくさん見られたそうです。不幸な子供時代をおくった貧困家庭のアランドロンがどうして観衆を魅了してやまない身のこなしを我が身に付けることが出来たか不思議です。やはり天性のものと考えるべきでしょうか。
「若者のすべて」も「山猫」もヴィスコンティ監督の作品ということを考えるとヴィスコンティ監督がアランドロンの魅力を引き出しているということでしょうか。この二つの作品はいずれもイタリア語で演じられていますが、フランス人のアランドロンがイタリア人のようにイタリア語を話しているのにも興味があります。イタリア語を勉強中の私がいくら頑張ってもイタリア語が上達しないことを考えるといやが上にも劣等感にさいなまれます。
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by pypiko | 2011-01-10 20:44 | その他