瑠璃のかなたに

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古事記生誕1300年 

2012年は古事記生誕1300年にあたるそうです。
これにともなって少し前から鶴舞図書館の一角に古事記に関する本が陳列されています。
古事記に関しては私の個人的な思い入れがあります。小学校3年生のころ父が私に子供用に書かれた古事記を買い与えてくれた事がありました。その時私は読む事を試みたのですが、次から次に登場する神々の名前が頭に留まらず途中で本を投げ出してしまいました。そのことを常々弱みに感じていたこともあって、この機会に古事記を勉強してみようかなという気持ちが湧いてきました。とりあえず鶴舞図書館に陳列されていた本の中から、三浦佑之著「古事記を読みなおす」、梅原猛著「天皇家のふるさと 日向をゆく」、工藤隆著「古事記誕生」を借りてきました。 いま頃になって遅ればせながら「古事記」の魅力に惹かれ始めています。運良く朝日カルチャーセンターで「古事記入門」の講座が1月~3月まで月一回行われます これにも参加してみたいと思っています。(「古事記」アラカルトの講座も同じく1月~3月まで月一回というのもあります)

工藤隆著「古事記誕生」に面白い記述がありました。
アマテラスオオミカミとスサノウノミコトの下りです。
スサノウノミコトがアマテラスオオミカミに田を壊し、溝を埋め、汚物をまき散らしなどの悪行を働きます。これに対してアマテラスオオミカミは最初は寛大に対応します。工藤はスサノウノミコトの汚物をまき散らした行為を酒の悪酔いのせいだとし、酒のせいだとゆるしてしまう風潮が日本には古来からあったと考えます。

ここで工藤は日本人の酒酔いに対する寛大さを説明するのに原田勝二のアルコールの薬理遺伝子学研究論文「飲酒様態の関与する遺伝子情報」を引用して2,3ページを割いています。
人間は悪酔いの原因物質であるアセトアルデヒドの分解能力の高い遺伝子を持つN型、「突然変異」で分解能力の低下した遺伝子を持つD型のどちらかを両親から一ずつ受け継ぐ。両親のどちらからもN型を受け継いだNN型は酒豪タイプ、N型とD型を受け継いだND型はそこそこ飲める、全く飲めないのがDD型である。日本人は4割近くがND型だが、白人や黒人には酒豪タイプのNN型しかいない。そこそこしか飲めないND型がいるのは日本人や中国人などのモンゴロイド人種だけで、他に南北アメリカの先住民がそうだという。南北アメリカの先住民は紀元1万年以前にアジアから移動していったモンゴロイド人種である。

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by pypiko | 2012-12-31 21:33 | その他

ささいな出来事 

夫が亡くなってから4年9ヶ月が経過し、一人暮らしの生活にも大分慣れてきたこの頃です。それでも時々不便な事があります。ペットボトルのふたがあけられない時が、おうおうにしてあるのです。家では、たいていの場合、器具を使ってあける事が可能です。それでも外出時で器具がないところでは、以前にはお手上げで近くにいる人にお願いして開けてもらっていました。お猿さんだって考えて工夫をして解決するのを見るにつけ、だんだん自分のことは自分で解決しなければと思い始めています。あるときはゴム手袋をはめてあける事に成功しました。あるときはしめったハンカチをあててあける事が出来ました。何も持ち合わせがないときには渾身の力を何度もみなぎらせて開けたこともあります。また、去年のイタリア旅行ではホテルで夜に飲もうとした水入りのペットボトルをどうしても開けられず、ボトルの胴体の部分をはさみで切って中の水にありつけた事もにがい思い出の一つです。
今度は難題でした。ラディッシュボーヤで購入して配達してもらった、直径7センチの蜂蜜入りのビンのふたがどうしても開けられないのです。ふたが大きすぎて私の手では力が効果的に入れられないのです。ビン開け器も用が足せません。熱してみたり、冷やしてみたりしましたがだめなのです。2,3日無駄な試みをしながら誰かが家に立ち寄ってくれたら頼もうと思ってその機会を待っていました。待っている間にも、だめで元々の方策をいろいろ試みていました。その一つ革手袋をはめて、力いっぱい反時計方向に回して見ましたところ見事にあいたのです。薄手のぴったり手にフィットする手袋で手の力が無駄なく伝わったためです。とうとう自力で開けたのです。思わず万歳と叫びました。私は日頃よく言えば頑張り屋、悪く言えばしつこい性格なのだと思っています。これは長所でもあり欠点でもあるようですが、こういうDNAを受け継いでいるのですからしかたがありません。 むしろこの遺伝子を受け継いだことが幸運だったと思うことが出来た小さな出来事でした。
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by pypiko | 2012-12-20 19:46 | その他

伊作文 衛星テレビ

Alcuni giorni fa ho guardato il programma di TV “ Cosumic Front”alcuni giorni fa.
Oggi parlo un po’ su questo argomento.
C’erano due iniziatori per questa campo : John pearse e Harold Rosen.
Il satellete artificiale Telstar 1 da John Pearse è lanciato sul cielo dell' Oceano Atlantico nel 1962. La prima volta , tra l'America e l'Europa la immagine di TV è stata scambiata. Attraverso 6000 chilometri dalla Franca all'America Yves Montand e dall'America alla France John F. Kennedy si è apparso sulla teleschermo in diretta.
A novembre del 1963 il satellete artificiale Telstar 3 è staso lanciato sul cielo di dell'Oceano Pacifico, grazie a questa la trasmissione di TV tra l'America e il Giapone è cominciata .
In questo giorno John F. Kennedy avrevve dovuto apparire ma non è appreso subito sulla teleschermo.
Dopo il abbastanza lungo tempo, quelo che la gente ha visto sul teleschermo non era Kennedy, ma il notizia di assassino di Kennedy.
Poi per fare vedere la trasmissione di TV nel mondo per 24 ore John Pearse ha fatto il piano di lansciare 50 satellite ugualmente sul cielo del mondo. Ma allora per troppo grandi spese non era accetato questo piano da nessuno. Dopo questo il piano da Harold Rosen che lanscia solo 3 satellite è stato accetato dal governo. Quindi NASA ha collaborato a questo lancio con Harold Rosen.
Il satellite artificiale da Harold Rosen “Syncom” è chiamato il satellite stazionario. Perchè questo satellite gira attorno alla terra con uguale velocita a velocita della rotazione della terra, se si vede dalla terra, sembra stare a un luogo sul cielo. Questo è la ragione che è chiamato il satellite stazionario. Anchè questo satellite Syncom gira su un'altitudine di 36,000 chilometri sulla terra. Questa altitudine è tanto alto che l’onde elettriche da 3 satelliti in questo modo può coprire tutto la tella.
Prima di 5 mesi di Tokio Olimpico il Sincom 3 lanciato è riuscito. Per realizzare la trasmisssione di Tokio Olimpico in Giapone hanno dovuto superare le tante probremi dificili per breve tempo.
Secondo questo successo, tutto il mondo sembra avere valutato la tecnologia del Giapone.
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by pypiko | 2012-12-18 15:37 | 語学

衛星テレビ放送

テレビ放送「コズミック フロント 通信衛星の夜明け」より
ピアース博士による人工衛星テルスター1号は1962年に大西洋上空に打ち上げられました。アメリカとヨーロッパをつなぐ衛星テレビ放送がはじめて行われたのは1962年7月23日です。6000キロの距離を介して瞬時にフランスからイブモンタンがアメリカからはケネディ大統領がテレビ画面に映し出されました。

1963年11月、太平洋上に打ち上げられた衛星テルスターにより可能となったアメリカと日本をつなぐ衛星中継はケネディ大統領の出演が予定されていましたが予定時間になってもケネディ大統領の映像は流されることなく時間が経過していました。ややあってケネディ大統領が狙撃されたと言うニュースが入ったそうです。

その後24時間全世界に放送を可能にするためにピアース博士は50機のテルスターを打ち上げるクラウド構想を立案していましたが費用がかかりすぎると見送られ、政府によりハロルド・ローゼン博士の3機の打ち上げですむ、衛星シンコムが採用されNASAによる協力をえられることになったそうです。

ローゼン博士の衛星シンコムは高度3万6千キロの上空で地球の自転速度と同じ速度で回るため地球から見て静止して見えるので静止衛星と言われます。静止衛星シンコム3号が東京オリンピックの5ヶ月前に打ち上げに成功し東京オリンピックの実況放送に間に合わせられました。東京オリンピックの実況放送成功により日本の技術の貢献も世界的に高く評価される事になったそうです。

ジョン・ピアース博士とハロルド・ローゼン博士
ジョン・ピアース博士のもとを16才年下のハロルド・ローゼン博士が訪ねて3万6千キロ上空に静止衛星を打ち上げる構想の立案を見てもらいに行ったところそれは不可能だと相手にしてもらえなかったそうです。実績のないハロルド・ローゼン博士は航空工学の研究者なので、ピアース博士のベル研究所よりはロケットを高く飛ばすことにかけては自分の方にぶがあるとの自負がありました。そこで発奮したローゼン博士は無名ながらも仲間を集めてたった3人で開発に力を注ぎました。後年カリフォルニア工科大学の教授になったピアース博士はかって賛同しなかった事を謝りにローゼン博士のもとを訪れたそうです。86才になって今も現役の研究を続けているローゼン博士は「ピアース博士を尊敬する気持ちはずっとかわらず持ち続けています。ピアース博士がいたからこそ私の仕事が続けられたのです」と言っています。
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by pypiko | 2012-12-14 21:02 | その他

伊作文 プラネタリウム

Una settimana fa ho visitato il planetario il quale è riformato un anno e mazzo fa. La nuova machina è di produzione tedesca.
In quel giorno da mattina ero depressa.
Prima come semple sono andata al cafè vicino a leggere il libro che prendevo in prestito dalla biblioteca. Ma non ho potuto concentrarmi su leggere, perchè un gruppo di visitatore che era venuto dopo ha cominciato a parlarsi alla voce alta.
Questo giorno la biblioteca era chiusa.
Ho deciso di andare a visitare il museo della scienza comunale in cui hanno metto la nuova machina tedesca di pranetario un anno e mezzo fa. Dopo che ho mangiato il pranzo presto sono partita per il museo della scienza con il pranetario . Ho potuto comprare il bilietto dello spettacolo per 3:10. Dovevo aspettare circa 2 ore.
Dopo avevo amazzato il tempo circa una ora al cafè di fuori leggendo il libro, ancola ci sono tornata.
Sicome c’era un po’ tempo fino al'ingresso di pranetario, ho rapidamente girato gli altri parti del museo osservando oggetti esposti .
Dopo che avevo fatto un'esperienza di un grande viaggio spaziale per 50 minuti, questa cosa mi è più sollevata, nonnostante io fossi stata di depressione da mattina. Un giovenile addetto spiegava in bello giaponese quelo che ogni corpo celesto secondo ogni stagione muova in quale modo. Nel buio non si vedeva sua apparenza ma mi piaceva lui molto.
Volevo vedere gli altri parti del museo per più tanto tempo. Al ogni piano c’ è il luogo abastanza grande per riposo o lettura. Ho saputo che non ho bisogno andare fuori per aspettere l'inizio dello spettacolo.
Un bilietto del’ingresso costa 200 en per vecchi. Molto buon mercato.
D'ora in poi voglio di tanto in tanto andarci.
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by pypiko | 2012-12-10 13:01 | 語学

名古屋市科学館

新装なったプラネタリウム初めての見学
この日は朝から気持ちが沈み込んで何も手に着かない鬱状態なので何とかこの状態から抜け出す方法はないものかと悶々としていました。まずは図書館で借りていた読みかけの司馬遼太郎の「跳ぶが如く7巻目」を今日中に読み終えて、あすは8巻目を図書館に借りに行こうといつもの喫茶店に出かけましたが、運悪く隣に座ったグループ客のけたたましい話し声に読書に集中できません。今日は図書館の休館日です。仕方がないので何か気張らし出来る物はないものかと思案の末、1年半前にドイツの新しい機械が入ったというプラネタリウムに誰か一緒に行ってくれないかと思いながらも、いきそびれていたのを思い出して今日思い切って一人で行くことにしました。
3時10分に入場出来る切符を買うことが出来ました。それまで2時間あまりの待ち時間があります。近くの喫茶店で1時間ほど読書で時間をつぶした後、プラネタリウムのある施設に戻って来ました。プラネタリウムは名古屋市科学館の中に設置されてあります。科学館をさっと見た後プラネタリウムの入場口に行きました。
壮大な宇宙旅行を体験できた50分間のあと、気持ちがリフレッシュされたことに気づきました。季節による星や太陽の空に見える位置関係などの説明をしてくれる若い男性プレゼンテーターの日本語がとても聞き取りやすく好感が持てました。
素通りした科学館の展示にも興味がそそられましたし、わざわざ外で時間をつぶさなくても科学館の中をゆっくり見学するのも良いですし、ゆったり休憩したり、読書をしたりして時間をすごすことの出来る椅子やテーブルの供えられた空間も各階にあります。なによりも入場料が敬老割引で200円と格安料金です。交通費は敬老パスで無料です。
プラネタリウムの話題はしょっちゅう変わるそうですし、時々名古屋大学の専門分野の教授の講演もあるそうです。リピーターになろうかなと考えています。
名古屋はお年寄りに優しい町だなという思いをあらたにしました。
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by pypiko | 2012-12-08 09:15 | その他

伊作文 火星移住計画

L’astronave Dragone rosso di una società privata spaziale X di U.S.A. è riuscita a agganciarsi alla stazione spaziale internazionale a giunio di questo anno.
Sembra che il falco 9 della stessa società spaziale X sia un progetto per un piano di migrazione a Marte.
Cioè è il piano che alla fine costruiscono qualche cupola trasparente su Marte e ci fanno emigrare 80,000 persone.
Come primo passo i materiali di costruzione di colonia ed i membri dell'equipaggio meno di dieci sono trasporti su Marte.
Poi sembra che riusando ripetutamente un stesso razzo, alla fine, facciano emigrare 80,000 persone su Marte.
Tutto il lavoro per vivere a Marte dopo la migrazione a Marte gli emigranti stessi lo devono fare.
Si dice che come prezzo di spesa costino 500.000 dollari (approssimativamente 41 milioni yen). Ma questo prezzo è solamente a spesa di volo a senso unico.
Si pensa che ci vogliano 39 giorni per arrivare su Marte.
Si dice che l'inizio di migrazione a Marte comincerà probabilmente nella prima metà questo secolo.
Perchè la gente deve fare migrazione su Marte? A questo domanda la Risposta è così:
Perchè si pensa che la terra sia semple esposta a pericolo, non sia eterna. Se qualque cosa sarà occorta nella terra, per sopravvivere si deve fare migrazione a qualche parte sicura.
Cioè questo è una sorte dell'assicurazione sulla vita per continuazione di esseri umani .
Si dice che in America ci sono molti giovani chi sperano di andare su Marzo , anche se ci dovrebbero morire.
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by pypiko | 2012-12-05 21:00 | 語学

火星移住計画

アメリカの民間スペースX社開発のレッドドラゴンが今年6月に民間企業ではじめて、宇宙ステーションとのドッキングに成功したそうです。
そのスペースX社のファルコン9は火星移住計画の関するプロジェクトだそうです。
最終的には火星に透明なドームを建設して8万人を移住させるという計画です。火星移住後の生活手段の確保のための労働のすべては移住者の手にゆだねられます。
第一段階はコロニー建設資材と乗員10人未満の火星への運搬。
第二段階ではロケットを再利用して何度も往復させ最終的には8万人を火星に移住させるという計画です。
費用は片道の飛行費用のみで500.000ドル(約4100万円)だそうです。
火星までは片道39日を予定。火星へ移住開始は今世紀前半には可能になるだろうと予測されているそうです。
火星移住計画の意義は、地球に何かあったらその前にどこかへ移住しなければならない。人類の生き残りをかけた生命保険のようなものだそうです。
フロンティア精神の旺盛なアメリカ人には死を覚悟の片道切符でも希望者は大勢いると考えられているそうです。
老後を火星でと言うのはいかがでしょう。
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by pypiko | 2012-12-02 22:10 | その他