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瑠璃のかなたに

衛星テレビ放送

テレビ放送「コズミック フロント 通信衛星の夜明け」より
ピアース博士による人工衛星テルスター1号は1962年に大西洋上空に打ち上げられました。アメリカとヨーロッパをつなぐ衛星テレビ放送がはじめて行われたのは1962年7月23日です。6000キロの距離を介して瞬時にフランスからイブモンタンがアメリカからはケネディ大統領がテレビ画面に映し出されました。

1963年11月、太平洋上に打ち上げられた衛星テルスターにより可能となったアメリカと日本をつなぐ衛星中継はケネディ大統領の出演が予定されていましたが予定時間になってもケネディ大統領の映像は流されることなく時間が経過していました。ややあってケネディ大統領が狙撃されたと言うニュースが入ったそうです。

その後24時間全世界に放送を可能にするためにピアース博士は50機のテルスターを打ち上げるクラウド構想を立案していましたが費用がかかりすぎると見送られ、政府によりハロルド・ローゼン博士の3機の打ち上げですむ、衛星シンコムが採用されNASAによる協力をえられることになったそうです。

ローゼン博士の衛星シンコムは高度3万6千キロの上空で地球の自転速度と同じ速度で回るため地球から見て静止して見えるので静止衛星と言われます。静止衛星シンコム3号が東京オリンピックの5ヶ月前に打ち上げに成功し東京オリンピックの実況放送に間に合わせられました。東京オリンピックの実況放送成功により日本の技術の貢献も世界的に高く評価される事になったそうです。

ジョン・ピアース博士とハロルド・ローゼン博士
ジョン・ピアース博士のもとを16才年下のハロルド・ローゼン博士が訪ねて3万6千キロ上空に静止衛星を打ち上げる構想の立案を見てもらいに行ったところそれは不可能だと相手にしてもらえなかったそうです。実績のないハロルド・ローゼン博士は航空工学の研究者なので、ピアース博士のベル研究所よりはロケットを高く飛ばすことにかけては自分の方にぶがあるとの自負がありました。そこで発奮したローゼン博士は無名ながらも仲間を集めてたった3人で開発に力を注ぎました。後年カリフォルニア工科大学の教授になったピアース博士はかって賛同しなかった事を謝りにローゼン博士のもとを訪れたそうです。86才になって今も現役の研究を続けているローゼン博士は「ピアース博士を尊敬する気持ちはずっとかわらず持ち続けています。ピアース博士がいたからこそ私の仕事が続けられたのです」と言っています。
by pypiko | 2012-12-14 21:02 | その他